五月 風炉の季節
五月です。立夏です。
茶道では、炉から風炉へと五月から(十月まで)夏のしつらいに変化します。
茶の湯を沸かすため釜をかけていた炉は部屋を暖める機能もあり、火も客から近かったですが、風炉の季節になると火は客からは遠くなります。
T先生の床のお軸は”薫風自南来くんぷうじなんらい”になっていました。
唐の文宗皇帝(840年没)という人が
人は皆炎熱(えんねつ)に苦しむ
我は夏日(かじつ)の長き事を愛す
と起承(きしょう)の句を作ったのを承(う)けて、詩人である柳公権(りゅうこうけん)(856年没)が、
薫風自ら南より来たる、殿閣微涼生ず
と転結(てんけつ)の句を作って一篇の詩となっているそうです。
世間一般の大多数の人々は夏の日のカンカン照りの暑さを厭がるけれども、私はその夏の日が一年中で一番長いのが大好きである。暑い暑いといっても、時折り木立を渡ってそよそよと吹いてくる薫風によって、さしも広い宮中もいっぺんに涼しくなり、その心地よさ、清々しさはむしろ夏でないと味わえないというわけです。
私が初めて、T先生の教室に見学しにいった日だったか・・いや違うな。お稽古をはじめてまもない日だったのか、記憶は定かではありませんが、先生のとこの床にはこの”薫風自南来”お軸が掛かっているのをはじめて見て、そして水屋棚には緑の釉薬がかかった稲の苗が描かれたお茶碗が出ていました。
その二つのお道具の取り合わせを見て、私の脳裏に私が育った岐阜の垂井の田園風景が思い出されました。ちょうど田植えがはじまるこの五月、それまでとくに気にもかけていなかったのに懐かしい垂井の風景がいっきに甦ってきました。
それも名古屋の先生のマンションの中の茶道教室であるこの和室の一角で、一瞬でそんな感覚に呼びもどされたものだから、茶道の季節感という世界はものすごいものだなぁ~とただひたすらに感動をしていた事がありました。
そんな私個人の思いいれもあって、このお軸の言葉が大好きです。
こういう深い意味があったとはね、知りませんでした。
気持ちいい日が続いています。