訳もなく
お着物を着てお出かけしたりすると、訳もなく周りの方がたから気を使われます。
とくに年配の方からは、非常に暖かい視線や声かけをしてくださる。こんないい加減な自分に、だ。
そんな時、恥ずかしいやら、困ったやら、まったくもって恐縮でございます。
自分自身はっきり言って着物が大好き!!とか、着物が趣味で・・とか、そんな気持ちで着ているつもりでなく、実家にも着物があるし、もったいないという気持ちもあり、それに茶道する時着物でやれた方がいい。(それが私のこだわり)自分で着れた方が都合いい、お稽古のつもりで、とまぁ「メンドクサイ」気持ちに蓋をして、修行のように淡々と着物を着る練習をしてきたここ数年。
本音を言うと、相変わらず「メンドクサイ」は変わりません。
数年着てれば「メンドクサイ」気持ちはなくなるのかなと思ったけど、悲しいかな何年経っても変わりません。
髪の毛だってアップしなきゃいけない、時々ほんとうまくいかなくて鏡の前で吠えてみたり・・・。
出かけないといけない時間までを逆算して、相当に時間をかけて(保険時間も含め)準備をする。超・・・メンドクサイ作業です。
夏は九月過ぎまでやたらめったら暑いし、もうそんな時は気合と気力だけで着ています。
昔の人ってすごいですね。これが日常着だったんだもの。
普段の私ならやらない事ですが、お茶に関することに対してだけは、とにかく「メンドクサイ」気持ちに蓋をする。
そうでないとやっていけない。はじまらないのだ。「メンドクサイ」という言葉はいつでも簡単に言えるけど、それを言ってしまったら、そこで終わっちゃうのだ。それじゃつまらない。
なので、心の中で違うスイッチを入れて、切り換えるようにしてます。”今だけ、ここだけ、この日だけ”。
友人で毎日着物着て生活している人もいる。それもすごい事だなぁと思う。
そんな風に毎週お稽古で着物を着るようになって、そのおかげもあるのか、最近ではお出かけしようかと思ったときに、気楽に着物が着られるようになってきました。いい事もあるもんだね~。
着物きれば洋服買わなくていいし、いろんなとこ隠せるし~便利かも~!!そして帯や小物での色あわせは楽しい。
着物を着ようとする時、今日はたまたまこの着物に袖を通させてもらってるという気持ちになります。洋服とはそのあたりが俄然ちがう部分かもしれませんね。仮衣装をきているような・・・これは自分の所有物だという気持ちにならないのはなんでだろう??
時代、世代がかわっても着れる着物は、実際今自分が着ていても、もしかすると近い未来、いずれ誰かが着てくれるかもしれない。
自分だけのものじゃないと考えると大切にしなきゃと思う気持ちも自然と芽生えてくるものです。
自分が今着てるのをいつか誰かが着てくれたらうれしいけどね。母も私もたぶん喜ぶんだろうな~。
日本人は着物が誰でも似合う、老いも若き人もほぼ似合うようできてます。それは本当に素晴しい事で、そういう意味で着物はgood designなんだと思います。日本だけでなく外国の人が着ても似合う!それも着物のすごい所だよね。
メンドクサガラズ、地道に目指そう着物ババァ!
わかるわ~、わたしもまさに同じ気持ちです。
着物も、茶道も「あえて」「好き好んで」「わざわざ」していることなので、
そこには(多少思う日もありますが)めんどくさいという単語は登場させられないよね。
おかげで他の事でも「めんどくさい」と思うことが少なくなりました。
他の事でも「めんどくさい」と思うことがなくなる
そうそうそーねぇ!
これはまた違ういい作用ですよ。
自分にあえて付加をかけるって思っても見ない結果があったりするものよね。ムダはないさ!(M2)