3月京都めぐりその2
先日の京都のつづき
高台寺の中に利休意匠の傘亭、時雨亭の茶室もあります。
どの茶室のなかは見ることでず、外観だけ見させていただきました。当時は話題になった意匠だったことでしょう。
傘亭は番傘をひらいたような天井のつくりになっているみたいです。
時雨亭は修繕工事で足場が組まれ、全貌もあまりよく見えず。2階立てづくりの茶室で一階が待合席と水屋になっていて
コンパクト設計になってます。(写真は時雨亭)この安土桃山時代、茶をのむためだけに、この茶室に費やすこの労力って
なんなんだろう?って時々思う。職人あつめてこんな茶室つくらせちゃってる。
どうしてどうしてここまで追求していったのかしら?って思うんですよ。
戦国時代が激しかったせいで、お茶って戦いとは相反するできごとだけに、あの時代の武将たちは余計にそういうものに
執着が増していったのでしょうか?お茶に心のユートピアを求めていたのかな?
お茶って、時々そういう屈折した” 可笑しさ ”のようなものを感じます。
高台寺の中には、もうひとつ遺芳庵(いほうあん)というお茶室もありました。田舎つくりの大きな丸窓がなんとも奇妙なデザインの茶室
という印象でそのときはよく理解せず。でもなんだか気になっていて、家に帰ってこれを調べていたら、吉野棚のモデルになったという茶室でした。
昔、豪商灰屋紹益に嫁いだ名奴吉野太夫が好んだと伝えられる。大円窓の二畳じきの茶席を高台寺に移築した時に献茶式が
行われ、圓能斎がその記念に作られた棚だということです。(淡交テキスト 21年度五月号より)
たまたま同じ時期にこの吉野棚を使ってお稽古していたのもあって、感激と興奮。
T社のお稽古ではいつもこの桜の時期に出されています。
こんな風に葦戸にも替えられるのですね。なんて素敵~!!
お道具の由来と歴史がリアルにまたひとつに繋がった!なんともうれしい出来事でありました。
圓徳院では、襖絵、庭を見、茶室でお茶も頂け、僧侶のいいお話も聞けました。
禅の心のあり方とは、自分自身が普通に今を淡々と生きること。それも復興支援であり、時は流れてもその気持ちを忘れず持続することなのだそうだ。なるほどなぁ心に染みました。
吉野太夫って凄い人だったんでしょうね!!
私もこの円窓が大好きです。
吉野棚は持ってませんが、こういうエピソードは良く先生から
聞いてました。
1ヶ月に1回の京都の旅も奥深さを増しますね。。。
私も参考にさせて頂きま〜す。
ハナピーさん
頭の中で、そめいよしのの桜とこの棚がいつもリンクしてて見ると、桜の季節がきたのだなと思わせます。
蓋置きも桜のぼんぼり使って、一時優雅な気分にさせてくれます。
修学旅行とはまたちがう趣で、こういった大人の京都も楽しいですね~。