松阪散策
先日三重の松阪牛で有名な松阪を散策してきました。
松阪城があった殿町あたりにM1号さんの親戚が住んでおり、ずっとご無沙汰しておりましたので(M2号は初対面)そのあいさつもかねて遊びにいきました。
三重の人は松阪のことを「まっつぁか」といいます。地元の方が発音するイントネーションと微妙にちがっていて指摘されたりしますが、名古屋地区の百貨店 松坂屋はMastuzakyayaで”まつざか”ですが、ここでは”まつさか”が本来のいいかたのようです。
松阪城は今では石垣だけがのこっていますが、石垣を上がって天守閣があったところに立つと松阪市がパノラマで展望できます。
天守閣から見える景色はもっともっと見晴らしがよかったことでしょうね~。そんな事も感じました。
まずは松阪のあれこれをざっくり紹介してみよう。
天正16年(1588)に蒲生氏郷(がもううじさと)が松阪城を築く
「古事記伝」を執筆した本居宣長ゆかりの地であります。梶井基次郎の小説「城のある町にて」で描かれた町。
松阪牛のすきやき・あみ焼きで有名な和田金や牛銀本店もこの辺りにあります。
松阪もめん手織りセンターでは、松阪木綿の機織体験などができるそうです。
その松阪木綿や、伊勢和紙、伊勢おしろいなど、江戸の日本橋周辺に店を構え商売をしていた方を松阪商人といわれています。
当時は今で言うとずいぶん先鋭な商売をしていたようです。江戸に支店を構えるのですから。
三井グループの創始者三井高利のゆかりの場所「三井家発祥地」として、観光スポットとなっています。他には「江戸木綿問屋・長谷川邸」や紙問屋の豪商、小津清左衛門邸「松阪商人の館」などもあります。
御城番屋敷(ごじょうばんやしき)という場所があり、見てきました。
三の丸跡の中に紀州藩士とその家族の住居がこの屋敷のことです。昔の佇まいのまま残っている場所です。
紀州藩士20人の組屋敷として文久三年(1863)に建築されました。槇垣と瓦屋根の壮大さが見事な長屋敷で、瓦屋根の景色がほんとうに美しいのです。通路も綺麗に石で舗装され(すぎ?)景観もまことに具合よろしい。
現在もその紀州藩士の子孫の方々が維持管理し12戸分を借家として利用されています。
今も住んでるってすごい事ですね。長屋の一つ屋根の下で結託して生活していたのでしょう。
今は東棟10戸・西棟9戸が残っており、市がその一つを借り受け復元設備して、一般公開もしています。
間取りはシンプルで3DKといった感じ、小家族で十分な広さです。庭もあるし。
借家はもう少し住みやすく改良されているそうです。
空いてるとこもちらほらありました。私の憧れの平屋住宅です。ええですなぁええですなぁ。
こんなとこで、お茶のお稽古ができたらいいねぇ~なんて言うのはこちらの好き放題で言えますから~。
この日は寒波がきていて超寒かったのと、忘れ物大王のM1号さんがサービスエリアに鞄まるごと置き土産してそれを取りに行かねばならず、じっくり町を散策できずじまいでした。残念~~。
暖かくなって、桜の時期にまた行くのもよいかもしれないです。松阪なかなかいいとこです。