お茶と自分
この日の杜鵑草庵の床
白雲飛悠々(はくうんとんでゆうゆう)
花 京鹿の子、萩
花入 あけび
最近、若者とお茶のことについて、質疑する出来事がありました。
その方にいろいろ質問しておきながら、お茶と自分との関わり方ってなんだろうと考えてみました。
さぁ、はて、なんなのでしょうか?
息抜き?いやいやそんな気は抜けないお稽古ごとです。私にとっては優雅な時間ではありません。
礼儀作法を学ぶ?やってれば、たしかにそれも自然と身につきますが、もっともっと幅の広い分野で学ぶことがたくさんあります。
日々の暮らし、物事の道理、人とのかかわり、工藝の美、花など自然を慈しむ心、気持ちの置き方、禅の精神、歴史など
自分がやるうちにいろいろわかってきたのもありますが、これから先もまだまだたくさん学んでいくであろうと思います。
茶道をやりはじめた1年間は、わけが分からず先生の言われるがままに行動していきました。体がロボットのように動くだけでした。
そのときは、とにかく覚えるということに精一杯。今もその辺は変わらない事なのですが・・・。
いまだに分からないことだらけです。でもやっててある時々にふっといろんな気付きや発見が出てきます。
それをなんとか対処できるようにしたいとか、もっとそれを知りたいという気持ち。それが今現在、お茶と自分との関わり方なのかもしれません。
”それ”とは、また人それぞれなのだと思います。
そして”それ”も年々と変化していきます。
その時々の心の変化がまた楽しいのであります。飽くなき探求というものでしょうか?
もちろん、お菓子も楽しみの一つです。うふふ